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50歳になって振り返る当時の結婚

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私は現在50歳です。仕事は自営業ながら運送業を営んでおります。

私は今から十五年前に結婚したんですが、現在の家内の里は鹿児島県です遠距離になるかどうか

わかりませんが、距離的には170キロほど離れていました。

この恋愛、結婚におきましては、ある方の紹介ということで私たちは知り合いました。

紹介してくださった方は私と同じ熊本県に住んでいらっしゃるのですが、私がこれまでに

大変だった思ったことは、同じ九州でも方言といいますか、そこの土地の言葉の使い方というものは

独特なもので、はっきり言って何言っているのかわからない状態でした。もちろん地域性なども

違っていたように思います。付き合いだして半年くらいしてからお互いよかったものですから

私自身も決断いたしまして、いざ出陣といった具合に、相手の両親にごあいさつに行ったのですが

家内の里はすごい山の中にありまして、一歩踏み入れたらイノシシか、シカなどが出てくるところだったんです

本当に大自然を感じたのですが、この鹿児島というところは、昔で言いますと薩摩藩であったわけですが

当時の薩摩藩は西郷隆盛が仕切っていたわけですが、新国を築くために言葉というものを他から聞かれても

理解できないように作り替えたともいわれいたようなんです。そこで出来上がったのが今の薩摩弁だと

言われているそうなんですが、私はこの方言には大変泣かされた一人なんです。隣の熊本県と鹿児島県の言葉

は隣県ですが、まったくイントネーションといいますか、感じが別物なんです。普段鹿児島県とは無縁の私は

方言を理解することに苦しみました。例えば、「びんたが痛い」といいますと、一般的には、ほほが痛いって思います

ところが、ほほではなくいたいのは。頭が痛いということなんです。びんたといいますと普通はほほを思うんですが。

他にもあります。鹿児島弁は会話の最後に「じゃあ」という言葉をつけるのがほとんどです。例え相槌を打つ時など

「そう、そう」って普通言いますが、それが「じゃあじゃあ」となるわけです。もっと深く入りますと「じゃっどーん」

っていうんです。本当に独特だと思いました。それでまったく鹿児島弁に慣れていない私は、家内こそ標準語のような感じで

話してくれていたからよかったのですが、ごあいさつに行って食事などした時の会話は、何言っているかわかりませんでした。

その時お酒も飲んだのですが、相手の両親が話をされてもほとんど部分部分しか理解できませんでしたから、家内が通訳しながら

の会話になりました。なんだか、外国にでも行っている気分になったものです。その後もそこの地域は、いなかですから

近所のかた同志仲がよく、一緒に食事したりする機会も結構あるようで、近所の方と食事したこともあります。でもこの時は

もっと苦しみました。なぜかといいますと、本当に近所の方は、私が方言はわかると思っていたのか、そのまま鹿児島弁オンリー

で来るんです。は?とかあまり聞くのも失礼だと思った私は、ただ相槌をうちながらにこにこしているだけでした。話の内容は

まったくと言っていいほどわかっていません。ほとんど相槌だけですから、お酒が廻ってしまいただの酔っ払い青年となりました。

このような感じで現在に至っていますが、今はなんとなく理解できてはいますが、それでも4割程度です。言葉の壁はほんとうに

難しいと思い知らされました。

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